今、同じ時に
NEWSの記事を取り上げる
パレスチナ自治区ガザ地区へのイスラエル軍の侵攻については、みんなもニュースで耳しているだろうか。
世界の出来事にも目を向けることが大事だと思う。
インスタや旧Twitterなどで、面白おかしいものばかりではなく。
パレスチナ自治区ガザ地区の南部ハンユニスに、人の波が押し寄せている。
数十万もの人々が、ガザ地区の北部から、乗れるものに乗って逃げた。燃料があれば車で、もし見つかれば馬と荷車で、他に選択肢がなければ自分の脚で。
避難した先でたどり着いたのは、一夜にして文字通り倍増した人口に対応できていない、そのための準備などできているはずもない、疲弊しきった街だった。
あらゆる部屋が、あるゆる路地や大通りが、人で埋まっている。男性も女性も、若者もいる。他に行くところがないのだ。
ガザ地区を実効支配する武装組織ハマスによると、イスラエルがワディ・ガザ(ガザ渓谷)以北からの退避を勧告してから48時間以内に、ガザ北部に住んでいた110万人のうち40万人が、南北に走るサラ・アル・ディーン通りを通って南部に向かった。
私もその一人だった。妻と3人の子供、そして2日分の食料を持って出発した。
ハマスの戦闘員はこれまでに、イスラエル領内で1300人を殺害した。イスラエル軍はその報復措置として、ガザを空爆。近く、地上からも侵攻する見通しだ。
ハマスはガザ住民に「動くな」と命令するが、イスラエルによる攻撃の脅威を前に、住民の多くはハマスの命令を無視している。
しかし、全方位を封鎖され、世界から切り離されている狭いガザ地区の中で、どこはいけるのか、選択肢は限られている。安全は決して保障されない。
そうして、ガザ市民がここハンユニスに大挙して押し寄せることになった。多くは、すでに空襲で家を追われた人たちだ。誰もが路頭に迷い、誰もがおびえ、次に何が起こるかも分かっていない。そういう人たちが、ここに集結したのだ。
ハンユニスの通常の人口は約40万人。それがたった一晩で100万人以上に膨れ上がった。北部から来た人だけでなく、2014年の戦争で大きな被害を受けた東部の住民も集まっている。
その全員が、寝泊まりする場所と食料を必要としているが、この状態がどれだけ続くのかは誰にもわからない。
■何もかもがばらばらに
わずかな物資が、たちまちなくなっている。ハンユニスはこれ以前から、疲れ果てていた。押し寄せる人の波は圧倒的で、何もかもがばらばらになり始めた。
この街の主要病院では、すでに必要品が乏しくなっている。北部からやってきた病人や負傷者を、受け入れているだけではない。今では病院そのものが避難所になっているのだ。
イスラエルの爆撃で負傷した新しい患者が、次々と運ばれてくる。医師たちはその人たちを廊下で手当てする。そして同じ廊下には、家を失った避難民がずらりと並んでいる。
競い合うような喧騒(けんそう)が、病院内を満たしている。
大勢が病院に避難してくるのは、無理もないことだ。責めるわけにはいかない。
国際法で守られている病院は、戦時下では最も安全な場所の一つなので。
ここにいる人たちは、ある意味では幸運なのかもしれない。少なくとも今のところは。
次々と運ばれてくる被害者に、ほとんど何も与えられないと医師たちは言う。水の支給は、患者1人あたり1日300入りリットルの制限されている。避難民には、何も与えられない。
他の場所では、住民たちが避難してきた人々を受け入れている。そもそもハンユニスでは、大勢が窮屈な環境で暮らしていた。そして今では、誰もが肩を寄せ合い、ひしめきあっている。
私は、すでに定員以上の人数が住んでいた小さなアパートが、50~60人の「家」になるのを目にした。こんな暮らしは、長くは続かない。
私の家族も今、小さな寝室が2つあるアパートの一室を、他の4家族と共有している。数メートルは自分たちのパーソナルスペースが確保できているので、私たちは幸運な方だと思っている。
病院と同じく戦時下で「安全」とされている学校も、多くの家族で埋め尽くされている。数万人はいるかもしれないが、正確にはわかりようもない。数え始めたら止まらないほど大勢いるのだ。
そのうちの一つ、国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)が運営する学校では、全ての教室が満員となり、全てのベランダに洗濯物がを干すひもが吊り下げられている。
お腹を空かせて我慢ができない子供たちのために、母親や祖母たちが中庭のベンチで料理をしている。
だが空室がなくなった時(実際もうないのだ)、人々は仕方なく道にあふれ出す。路地や地下道に広がり、土ぼこりやがれきの中で寝泊まりし、やってこないかもしれない幸運を待つ。
食料も燃料もほとんどない。店からは水が消えた。給水所が頼みの綱になっている。これは悲惨な状況だ。
そして、ハンユニスが安全だというわけでは決してない。この街も、定期的に爆撃されている。ここもまた、紛争地帯なのだ。壊れた建物やがれきの山が、道路のあちこちに散らかっている。
ハマスがイスラエル領内への爆撃を続ける中、私は病院の近くでロケット弾が発射されるのを聞いた。どうぞ報復してくださいと言っているようなものだ。
次の標的を探すイスラエルのドローンの騒音も、ずっと聞こえている。
そして爆弾が落とされ、建物が壊れ、遺体安置所と病院にさらに人が溢れる。
今朝、私の家族が暮らすアパートの近くに爆弾が落ちた。全ての電話回線が止まっているか重度の障害が起きているので、息子と連絡が取れるまでに20分かかった。
人は、このような暮らしは続けられない。だが侵攻はまだ始まってもいない。
ガザは私の地元だ。そして、私はこのガザで4度の戦争を取材してきた。しかしこのような光景は見たことがない。
かつての戦争がどんなにひどいものだったとしても、私はこの地で人が飢えたり、渇きで死んだりするのを見たことがない。しかし今ではそれが、現実に起こり得るのだ。
ガザから出る唯一の道、エジプトにつながるラファ検問所は閉鎖されたままだ。エジプト政府は、ここを開けば新たな人道的災害を招くことを知っている。
今やラファから20キロの地点で、ガザの避難民100万人が待っている。検問所を開けば混乱が起きるだろう。
私は2014年にもそうした光景を見た。その時は数千人が戦争から逃れようとしていた。今回はもっと、もっとひどいことになるかもしれない。エジプトはそれを恐れているのだ。
人の波は簡単に境界を越え、再び大惨事と混乱が起きるだろう。
同じ時に
同じ地球で
こんなことが起こっている
何を思えばいいんだろうか。
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